エッセイ

秋川雅史の彫刻鑑定 その3

2021年10月27日

 

“なんでも鑑定団”の収録において下された判定は、「本人の作とは言えない」ということで、真作判定はされなかった。
言い方はいずれにせよ、本人の作品ではないという事は“贋作”と判断したという事である。
その収録の中で大熊氏が解説した内容で私が注目をしたポイントをいくつか要点を書き出してみたいと思う。
①石川光明の時代は、弟子に対して生活が困窮しないように、弟子が作った作品を師匠の名前を勝手に使って売り、そのお金を生活費に充てていたという事を師匠は黙認していた。だからこれは弟子が作ったものではないか。
②この作品は東京国立博物館に同じ題名の作品がありそれとは形が違う。この時代は星取技法という、形を完全コピー出来る方法で制作していたので、複製を作るなら同じ形になるはずである。
③石川光明は作品に刻印という落款を彫るが、それは四角で囲んだ中に“石“という漢字1文字を彫ったものしか見た事がない。しかしこの野猪は、四角の中に石川と彫ってある。これが決定的な本人作ではないという理由です。
④オークションでは石川光明作としてではなく、“伝石川光明”として出品されているので、オークション会社自体も本物かどうかは分からないという事で出品している。
 
これらが収録で語った大熊氏の判定理由だ。
私自身も彫刻家であるからこの作品の彫り方の妙義はよく分かる。またさまざまな文献を調べ、近代彫刻の研究も行ってきた。そして近代彫刻作品のコレクターとして、市場に出てきた数々の作品も目にしてきて、そこにお金を投じてきたことから、真贋を見極める眼も養ってきた。
大熊氏と同等とはおこがましいが、彼も私もそれぞれの眼を持った鑑定家である。
その私の観点から、今回の大熊氏の鑑定解説を検証し、私なりの意見を述べたいと思う。

 


 

- 最新記事 -