エッセイ

秋川雅史の彫刻鑑定 その4

2021年10月29日

 
なんでも鑑定団の収録で鑑定士の大熊氏が述べた鑑定理由で私が注目をしたポイントを挙げ、その内容を項目ごとに私なりの分析を行いたいと思う。

 
①「石川光明の時代は、弟子に対して生活が困窮しないように、弟子が作った作品を師匠の名前を勝手に使って売って、そのお金を生活費に充てていたという事を師匠は黙認していた。だからこれは弟子が作ったものではないか。」
 
これはいかにもその時代の彫刻家はみんなそうしていたと聞こえるが、実はこれは高村光雲の工房での逸話である。正式な文献にもその事は記されている。
彫刻の世界は他の美術作品に比べて、ひとつの作品を作るのに長い期間がかかるし、彫刻技術を身につけるにも美術大学の4年間では習いきれないほど習得には期間が長くかかる。
そこで多くの彫刻家は工房を構え、弟子を雇い、弟子に仕事を手伝わせながらその技術を教えていく。これが工房制作というものである。
レッスン代を取らない代わりに仕事を手伝わせて、その中で技法を教えていく。
作品制作の工程としては、最初にまず師匠が粘土から石膏で原型を作り、その原型を見ながら木を彫り進めていく。
師匠が一番手をかけるのは最初の原型作りのところであり、木彫りの最後の仕上げの部分はほとんど弟子が行うのが一般的だ。
彫刻家によっては複製を作る時には、全て弟子が手がけるという事もある。
しかしこれでも師匠が確認をしてOKを出した作品は師匠の作品となる。
彫刻家の1番の仕事は形を考案するところなのだ。
だから石膏原型が出来上がれば、あとは師匠の作品も弟子の作品も、ほとんど見分けがつかないほどコピーして作る事が可能なのだ。場合によっては仕上げは普段から慣れている弟子の方が上手い事もある。
しかし高村光雲の工房の場合は、弟子が師匠の作品の形を模刻して、師匠の名前を勝手に入れて内緒で売っていたが、師匠はそれをとがめなかったという事だ。
この場合は師匠の許可を得ていないため、贋作という事になる。
しかし模刻というのは弟子はほぼ同じレベルのものを彫る技量を持っているので、それが本物なのか偽物なのかはほぼ判別出来ないほど同じレベルのものが出来上がる。今の時代にそれを見極める事はなかなか難しいと思われる。
 
そこで石川光明の作品だが、この観点から考えた時に、まず弟子が手がけた作品であっても、石川光明がその出来を認めて流通を許可すれば、それは列記とした石川光明の真作という事になる。
しかし石川光明の場合、弟子が師匠の許可を得ず、こっそりと作品を作って流通していたという文献はどこにも見当たらない。
高村光雲の逸話をそっくりそのまま使って、同じ時代の作家だから同じ事をやっていたという理論は無理があるのではないかと私は思う。
よって私の見解は、この作品は「石川光明の作とは言い切れない」ではなく、「石川光明の弟子の作品とは言い切れない」という事になる。

 


 

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