エッセイ

秋川雅史の彫刻鑑定 その8 〜最後に〜

2021年11月17日

 
美術品の鑑定というのは歴史を背負った行為である事から大きな責任を請け負うものと私は思っている。

贋作を真作と間違って判定されたとしても、また次の時代に更なる鑑定技術の進歩により再度精査する事が出来る。
しかし真作を贋作と判定されてしまった場合、その作品は一気に二束三文の価値になってしまうが故に、廃棄されてしまう可能性がある。
これがもし運慶の作品であったら、またレオナルドダヴィンチの作品だったらと思うと、歴史の遺産をこの世の中から失ってしまう危険性を感じてしまうのだ。
石川光明の作品は今現在まだ世の中には多くの作品は確認されていない。
海外に流出したものを含め、これから少しでも多くの作品が発見され、国の宝として大切に保存されていくべきであると思っている。
今後も近代彫刻の歴史を次の世代に受け継いでいき、歴史の遺産としていくためにも、私は価値ある作品をしっかりと大切に保存していこうと思っている。そしてこの“野猪”をこれからも引き続きさまざまな観点から研究を進めて、鑑定していこうと思っている。
 
最後に、彫刻家のプロ目線の意見を伺いたく、木彫刻の伝統の町、井波町で活躍する彫刻家にこの作品を見てもらい、感想を伺ってみた。以下がその文章である。
 
「猪の作品を拝見して私なりの感じた事をお話しさせていただきます。
本物の猪は生きているため動作もします。風が吹いて毛がなびいたりもします。
しかし彫刻は動かない固まりです。
見たまま彫るのでは止まった表現しかできません。
そこで、どのようにしたら、生きた表現ができるか、を考える必要があります。
その為には、本物以上に強調して表現する必要があります。
毛並みには極端な毛の流れが表現されています。その中にもまとまりがあります。風を感じる表現がほどこされています。
又、彫刻は色が無いため光と影で表現します。強調させたい部分には深く彫り、
軽く表現したい部分は浅く彫って表現します。
毛並みにはその表現が多く使われています。
全体の立体感と構成、手前の足と奥の足の位置を変えることで重ならず奥行きを表現しています。そうすることで立体感が生まれています。
左右の後ろ足の面の角度を変える表現をしています。それにより自然な動作を表現することができます。
又、優れた作品には、品があり何度見ても飽きさせない共通点があります。
その理由として、上記の説明した表現方法を行っているからだと思います。
この猪にはとても多くの表現方法を駆使して造られていることがわかります。」
 
公定鑑定機関がない作品というのは、真贋の判定も人によってさまざまな意見に分かれる。
テレビというのは世の中に絶大な影響力を持つ媒体であるがゆえに、ある一人の鑑定家が述べた意見でも、人の心に響きやすい。また番組は編集されて放送されるが故に、間違った内容も簡単にカットが出来てしまう。
それだからこそこうして違う意見も聞いてもらう事も必要と思いこの文章を発表させていただいた。
さて皆さんはどう判断するだろうか

 


 

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